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言葉変換『もんじろう』用アイコン カテゴリ:地名の由来  

  • 吉水(よしみず)のいわれ
    [ 2007-12-11 08:48 ]
  • 小見(おみ)のいわれ
    [ 2007-12-11 07:44 ]

言葉変換『もんじろう』用アイコン 吉水(よしみず)のいわれ   

2007年 12月 11日

吉水とはよい水が豊富に得られるところある。したがって早く開けたことは、東明寺古墳の存在や「寺の後」における古代集落跡の発掘によって分る。吉水という地名は、早くも鎌倉時代の弘安3年(1280年)の古文書に見えて、佐野氏一族の支配地になっている。

伝承によると、現在の興聖寺付近の湧水地域を利用して、宝治年間(1247年~1249年)吉水太郎国綱によって清水城が築かれ、以後中世まで佐野氏の城館になっていたという。

近世になると吉水郷の中の清水城付近は新吉水(始めは吉水新町)と改められ、また秋山川の河川敷を開いて、貞享2年(1685年)吉水新田が作られた。

(『田沼町誌』第一巻・自然民俗編より)

by bright2001 | 2007-12-11 08:48 | 地名の由来

言葉変換『もんじろう』用アイコン 小見(おみ)のいわれ  

2007年 12月 11日

オミとは多水の意味で、川の流れる平地につけた地名である。また、麻を糸につむぐことを麻績(おみ)という。

延暦元年(782年)安蘇郡の郡司であった若麻績部牛養(わかおみべのうしかい)が蝦夷征討軍に兵糧を献じて外従五位下の位をもらっている。さらに『和名抄』によると、古代の安蘇郡内の郷名に麻続があり、これは麻績の誤りで現在の小見付近を指していたものと考えている。

鎌倉時代の古文書にも、佐野氏の所領として小見郷がしばしば出ている。要するにこの地域は吉水に接する扇端湧水地であって、稲作に適したので早く開けたところであろう。

(『田沼町誌』第一巻・自然民俗編より)

by bright2001 | 2007-12-11 07:44 | 地名の由来